ぐるぐるゆるっと子育て@高齢出産』vol.13 産後の体調不良とおっぱい問答

こんにちは!かもみぃみるです。
タイトルに『子育て』と謳いながら、出産までに1年半もかかってしまいました。
新年とともにようやくここからが本番?子育て期に突入しまーす。
前回のvol.12はこちら

2006年3月22日に緊急帝王切開となって、退院したのは29日。8日めのことでした。
厚い雲の垂れこめる寒い日でしたが、わが子を抱いて家に帰るタクシーの窓からは、散り際の桜を見ることができました。

それぞれの実家が遠く、近隣に知り合いもいない私たちの、夫婦だけの育児がスタートしました。
最初の一週間は相棒が仕事を休み、家事をしてくれました。

切り干し大根やひじきをつかった作り置きの総菜を何品か。そこに主菜、汁物や生野菜を足した超ヘルシーごはんです。
恥ずかしながら、忙しい独身時代は栄養のバランス重視のワンプレートご飯が多かった私よりも、独身かつ節約生活が長かったうちの相棒の方がだんぜん主婦力は高かったのです。

一緒に通った両親学級で習ってはいたけれど、毎日の沐浴は大仕事。
小さくてこわれそうな赤ちゃんをどう扱っていいのか。大きな身体の相方がおろおろしながらやってくれるのですが、最初はふたりで大騒ぎ。親の奮闘をよそにベビーはゆったりご機嫌でした。

高齢妊娠にしてはトラブルもなく、出産当日までは妊娠を忘れるくらいに健康で元気だったので、産後に急激な体力の低下と体質の変化が起こるとは思ってもみませんでした。

疲れやすく、眠りが浅く、身体には力が入らず、思うように動けませんでした。息子はよく眠り、たくさん飲んではいいうんち。
出産前から「なるべく母乳で」と思っていたのですが、初乳から苦労しました。途中何度もベテラン助産師さんによる母乳マッサージもしていただきましたが、その時だけのぬか喜び。
息子の旺盛な食欲に反して、母乳はほんの少ししかあげることができませんでした。

原因は様々あると思います。
年齢。個体差。それまでの食生活や生活環境。
緊急帝王切開という身体へのダメージとともに、出産と共に父を失うという精神的なものも。
昔から「赤ちゃんの泣き声を聞くとおっぱいがはる」と聞いていましたが、私にはそういったことはありませんでした。

あげないとますます出なくなるという指導に従って、時間をかけて息子にすがるような気持ちでおっぱいをのんでほしいと思うのですが、食いしん坊の上に少々短気な私の赤ちゃんは、そのうちおっぱいを見せるだけで泣いて怒るようになりました。
もうお手上げです。だんだん哺乳瓶で粉ミルクにする量が増えていき、3か月ほどで完全に粉ミルクになってしまいました。

授乳するときは哺乳瓶のときも母乳のように抱いてあげたいのですが、当時の私は腕が上がらず。たった3キロちょっとの息子を抱き上げることもできませんでした。
学生の頃から体操部で全身を鍛え、その後も30を過ぎるまでダンスでよく動いていた身体でした。
仕事で徹夜したこともあり、体力には覚えがあったので、とてもショックでした。

あぐらをかいて、その上に息子を寝かせ、丸く包むようにしながら授乳しました。
免疫や腸の発達、その後の成長のためにも母乳にしたかったのですが、出ないものは仕方がありません。
乳首に近い質感と、簡単には吸い出せない哺乳瓶を取り寄せて、内容はともかく、肌のぬくもりやにおい、安心感で子どもとつながることにすがるような思いでした。
吸てつ運動をしっかりすることで口まわりの筋肉を育てることが、のちの咀嚼や発語の準備として大切だと考えていました。

食いしん坊の息子。そこは根性で、出にくい哺乳瓶をものともせず、ぐんぐん飲んでくれました。
だけど、飲みづらさゆえに時間がかかります。
1回の授乳時間は、母乳だったら10~20分程度のところ、息子はいつも30分ほどかけて完飲。3時間ほどいう目安の授乳間隔よりも早くにお腹がすくようで。1時間半もすると次の授乳。
体力のなかった私は授乳とオムツかえ以外の時間はぐったり。新生児の息子と一緒に横になっているような生活でした。

あっという間にひと月が過ぎ、生後一か月検診の直前、父の四十九日法要に出るため、親子3人、初めての新幹線で京都に向かいました。
息子も私も、初めてのお出かけです。
1日目は6時間半かけて私の実家へ移動。
2日目は午前中に父の四十九日の法要を済ませ、昼食は料亭でご列席の親族の方たちと。夕方には義母と一緒に愛知県の家へ。
3日目は午前中に氏神様にこっそりお宮参りをして帰路につきました。

四十九日まで、故人はこの世にとどまっているといいます。

父が仏となってあちらの世界へ旅発つ前に、別れを告げ、見送りたいという私の願いに相棒と息子が付き添ってくれました。

またこのころは産褥高血圧を発症して薬を処方されていました。高血圧がさまざまな生活習慣病の誘因となることがよくわかっていた私は、なんとか産褥期だけで抑えられるようにと願いながら過ごしていました。

ただ単に卵子の劣化や出産時の体力が問題なのではなく、産後の子育て期こそに加齢と体力の低下が大きな負担となることを思い知る育児のスタートでした。


<かもみぃみるのプロフィール>
1963年生まれ。41歳で結婚、42歳で出産した一人息子は現在中3。産後は体調を崩すなか、孤育てや介護、看取りも経験しました。音楽と踊りが大好きです。結婚までの、そして結婚後の様々な職歴と学びを活かして、数年前から女性の心身のウェルネスをサポートする講座やレッスンを行っています。「その人らしさを大切に。ゆるめること、ながめること、味わうことでよりよく生きる」を目指しています。

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