私がまんなか世代になって、我が家にやって来た、愛犬まろんと一緒に歩むコラムにどうぞお付き合いください。
~わかる~
3人の娘を育て、全員成人しておとなになった。
長女が大学を卒業するときにくれた、今でも大切にしている言葉がある。
うれしくて、すぐ紙に書いて 今でも冷蔵庫の一般上に貼っている。
「何でもできると思っていたのは、守られた環境があったから」
娘たちには、やりたいことはできるだけ反対しないようにしてきた。
でも、それができたのは私ではなく、夫のおかげ。
私は危険回避したいタイプなので、まずは反対する。
それ、しばらく様子見たら?
やめたほうがいいんじゃない?
そんな私とは逆で、夫は「自分で責任をとれることはやらせてみろ」と言う。
もちろん子どもの責任は親がとる。
でも、「親」という字のごとく、木の上で見守ればいい。
いざというときは木から降りて、手を貸せばいいのだと。
最初は難しかった。
私は厳しかった父に反発しながらも、その居心地の良さに乗っかってきた。
危険が来る前に、そちらに行かないよう守られてきた。
だから、娘たちが危険な目に遭う前に私が守らなきゃ・・という、妙な正義感を持っていた。
子どもが小さいうちは私の言うことを聞いてくれたけど、思春期になるにつれ、戦いが増えた。
自分を反省し、厳しかった父のせいにもしたり、仕方ないとあきらめたり、嫌なら出ていきなさいと開き直ったり(苦笑)
私は戦いながら、学びながら、少しずつ木に上る練習をした。
最大の難関だったのは、長女が大学でベトナムの子どもたちを支援するサークルに所属し、ベトナムという、どんなに高い木の上からも見えないところまで行くようになったとき。
「信じてYESと言ってみる」
これは信頼と覚悟がないと難しい。
あなたが選んだことなら信じて応援するよ。
もし命の危険があってもそのときは受け入れるよ。
そんな気持ちをもって送り出したのを覚えている。
幸い4年間に10回近く渡越し、私の想像をはるかに超えた貴重な経験をしたように見える。
そんな大学生活が終わったとき、
「何でもできると思っていたのは、守られた環境があったからだね」
という言葉をくれた。
もちろん泣いた。
うれしかったから。
私のことをわかってくれたとかいううれしさじゃなく、私よりずっと大人になったと尊敬することができたうれしさ。
子どもが大人になるまでの時間はそれぞれ。
渦中にいるときは見えないけれど、終わってみるとかけがえのない有難い時間だったんだと今ならわかる。細田恭子